あの頃、わたしの知るかぎり地元には2つのレンタルビデオ店がありました。
1つは通学路沿いにあったのですが、遠目に店内を眺めることはあっても、小学生だったわたしが中に入ることはありませんでした。
当時感じていた、あの独特な雰囲気。そこに確かに存在しているのに存在していないように思わされているかのような。
子供は決して入ることのできない大人の世界。
わたしにとってレンタルビデオ店はそんな場所でした。
そんな空気感を感じていた頃、我が家に初めてのビデオデッキがやってきました。
子供と一緒に遊んでくれるような父親ではなかったのですが、ビデオデッキを購入したためか、レンタルビデオ店に連れて行ってくれたのです。
わたしが選んだビデオテープは、映画館でしか観られないと思っていた長編ドラえもんでした。
当時は、街中の電信柱に映画館で上映される映画の看板がくくりつけられていたのですが、登下校中にそれを見ては、決して連れてってもらうことはないとわかっていた映画館にひっそりと憧れをいだいていました。
そんな思いもあって、長編ドラえもんが観られることに大興奮のわたし。
設置したばかりのビデオデッキでさっそく観せてもらったのですが、夕飯の時間となりやむなく途中で一時停止。
そして悲劇が起こったのです。
夕食後、テレビをつけてみると画面がおかしいことに気づきました。
夕食前に観てた場面と違う・・・。
そうなんです。一時停止になっていなかったので、ご飯を食べている間に先へ先へと進んでいたのです。
買ったばかりで使い方がわかっていなかったのか、単に押し忘れていたのかはわかりません。
しかも、無知とは恐ろしいもので、巻き戻しという機能があることすら知らなかったわたしです。
もう見ることはできないんだという絶望のなか、せめてもの抵抗だったのか、泣きながらテレビに背を向けて最後まで観ることを拒否したのでした。
今も理由はわかりませんが、父親も父親で巻き戻してくれることはありませんでした。
書店で本書を手にとりながら、そんなノスタルジーにひたっていました。
ビデオストアはありふれた、つかのまの、記憶されることさえないふるまいとやりとりにあふれた何の変哲もない場だった。けれどそういうものはえてして、消え去って初めて気づくものだと、そんなふうにつくづく思うのである。
ビデオランド(ダニエル・ハーバート)作品社
レンタルビデオ店があった当時を「古き良き時代」と考えているわけでもないですが、今の仕事・生活に疲れ切ってしまったわたしにとっては、ある種の逃避場所というか、リハビリ場所というか。
一息いれて過去の自分と向き合う。そして、これからの新しい生き方を模索する。
そんな時間を本書から得られるような気がして、思い切って4,000円でお買い上げです。
ちなみに本書の著者は、ダニエル・バーバートというミシガン大学の准教授です。どこぞのビデオテープ愛好家が書いたわけではありません。
そのため(というのもなんですけど)、「ビデオストアとは何か」という考えもしなかった問いに答えるため「建築・閲覧客・店員」などの面から分析している章もあります。
この真面目さにグッときますね。建築の見取り図や店内の写真などに添えられているコメントにも真面目さが感じられてなおGOOD。白黒なのが残念ですが。
おそらく、消え去る運命にあるレンタルビデオ店とコロナ禍でますます勢いを増したNetflixなどのストリーミングサービスとの単純な比較本ではないのでしょう。
社会学の魅力は、今までの人生を通じて生き続けてきた世界を、社会学の視界によって新しい光の下で見直すことを可能にしてくれることにある。
社会学への招待(ピーター・バーガー)
学問の世界はよくわかりませんが、おそらく社会学に分類される内容なのかと思います。
ところで、冒頭で紹介した地元のレンタルビデオ店をGoogleMapで調べてみたところ、1店は住宅に代わり、もう1店は建物が当時のまま残っていました。
時間がとまったままという表現がはまる、とはこういうことなんでしょうね。
大人になったわたしの目には、古い記憶にある当時の光のほうが新鮮に感じてしまうのです。
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